辞意。東京へ
自己紹介もくじ
前回「ついに取締役営業部長に」は、「上場企業の取締役までになったけど、名前だけで何も自分に備わってないことに危機感を覚えた」というところまでです。
前回の締めくくりは「営業のトップゆえの苦悩」でした。
2つあるのですが、1つは「組織に向かないことが分かった」ですww
私もそうだし飲食店経営者の皆さんもそうですが、我々は組織に向かない欠陥人間だから独立してるんですよ。
「あー俺は、『お山の大将』が居心地が良くて好きなんだな」ということが、よく分かったんです。
店長やオープン隊隊長をやっているときが1番楽しかった。
「オレが法律だ!」
「オレがマニュアルだ!」
「オレが全部決める!」
「オレが大将だ!親分だ!」
という状況が好きなんですよ。
その時その場で、ガンガン自分で決めていきたい。
稟議書の世界が嫌いなんです。
もう1つは、これこそがNO.2ゆえの苦悩です。
営業のトップといっても会社のトップはもちろん社長ですから、実質はトップというよりもNO.2なわけです。
前にも書いた、日本のチェーンストアの教祖的存在の「日本リテイリングセンター(通称ペガサス)の研修をたくさん受けていましたから、「チェーンストアの組織論」も叩き込まれていました。
【NO.2は、自分が黒だと思っていてもトップが白だと言えば白を主張しなければならない】と教えられ、これに苦しみました。
手が飛ぶ、足が飛ぶ、灰皿が飛ぶ、の気性が超激しい方でしたから(あの写真からは想像がつかないでしょうけど…)、何回ぶん殴られたか。
会議なんかでも、どれだけなじられて激しかったか…。
でもそれよりも、「自分の主張を殺さないといけない」ことが1番イヤでした。
営業のトップになると、直属の部下は各地域の店長を束ねるエリアマネジャーと営業課長だし、他の部署にも影響力が及びます。
現場に直接ということはなくなり、彼らを束ねていく立場です。
それと、各エリア単位での会議とか研修とかがメインになります。
トップと一緒に参加するのですが、自分が白だと思っていてもトップが黒だと言えば黒に合わせざるを得ない。
トップは数字が全てですから、数字が悪い店長がトップから叱責されます。
でも私はその裏というか背景を知ってるけど、トップに同調せざるを得ない。
そのストレスがどんどん溜まっていって、ある時ついにそれが溢れて辞意を申し出ます。
1つ目の理由もあって、「何らかの形で独立したいなぁ、お山の大将になりたいなぁ」という思いも強くなっていました。
また以前に書いたように(今思えばおごりですが)、世の中の1,000万円プレイヤーのレベルも知ったし、元々お店をやりたかったのですが、コンサルを意識するようにもなっていたんです。
研修とか会議とかやってると、「ん?何かオレはこっちの方が向いてるな。得意かも?」と思い始めていました。
語弊があるかも知れませんが、お客様に喜ばれるよりも私のアドバイスや指示でエリアマネジャーや店長達に感謝される方に、やりがいを感じていました。
結局この時は留意され、「東京に行け!」と言われます。
当時全国展開をしていて400店舗くらいになっていましたが、どんどん出店していました。
直営ではなく独特の手法なのですが、子会社展開です。
東北ジョイフルとか、近畿ジョイフルとか、日本を一定のエリアに分けて子会社を作って、それぞれが展開していくやり方です。
子会社の社長は、これまたそれぞれのエリアの大企業の小売業や飲食業・銀行の幹部出身の方々です。
結局今では解体され、全て直営になっていますが。
子会社の中で、関東が上手くいってなかったんです。
それもあるし、「目先や環境を変えれば、考えも変わるだろ」という考えもあったんだと思います。
それが、さらなる転機になります。