今日は泣いてもらいます。電車の中では読まないように…

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今日はちょっと泣いてもらいます(笑)

 

有名な話ですが、皆さんにも読んで欲しくて。

 

てっぺん大嶋さんのメルマガの転載です。

 

ハンカチではなくタオルの用意を。

 

くれぐれも、電車の中では読まないように…。

 

ココから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

【招待状】

ある小学校で、良いクラスをつくろうと一生懸命な先生がいた。

その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、遅刻をしたり、居眠りをしたり、皆が手をあげて発表する中でも、一度も手を上げない少年がいた。

先生はどうしてもその少年を好きになれず、いつからかその少年を毛嫌いするようになった。

中間記録に先生は、少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。 

ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。

そこにはこう書いてあった。

「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。弁口もよくでき、将来楽しみ」とある。

間違いだ。他の子に違いない。先生はそう思った。

二年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。

三年生では、「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする」。

三年生の後半の記録には、「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、四年生になると、「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。

先生の胸に激しい痛みが走った。

だめと決めつけていた子が突然、深い悲しみを行き抜いている生身の人間として、自分の前に立ち現れてきたのだ。

先生にとって目を開かされた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。

「先生は夕方まで、教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?わからないところは教えてあげるから」。

少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。

授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。

少年は自信を持ち始めていた。

六年生で先生は少年の担任ではなくなった。

卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした」

それから六年。またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金ももらって医学部に進学する事ができます」

十年を経て、またカードがきた。

そこには先生と出会えた事への感謝と、父親に叩かれた体験があるから、感謝と痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生のときに担任して下さった先生です。」

そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母親の席に座ってください」と一行、書き添えられていた。

先生は嬉しくて涙が止まらなかった。

 

ココまで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

どうですか?これは泣けます…。

 

では、もう一丁。

 

ココから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

『僕を支えた 母の言葉』

僕が3歳のとき、父が亡くなり、その後は母が女手ひとつで僕を育ててくれた。

仕事から帰ってきた母は、疲れた顔も見せずに晩ごはんをつくり、晩ごはんを食べた後は内職をしたりして、毎晩、遅くまでやっていた。

母が頑張ってくれていることはよくわかっていただけど、僕には不満もいっぱいあった。

学校から帰ってきても家には誰もいない。

夜は夜で、母は遅くまで内職。

そんなに働いているのに、わが家は裕福じゃなかった。

遊園地にも連れて行ってもらえない。

ゲームセンターで遊ぶだけの小遣いももらえない。

テレビが壊れた時も半年間買ってもらえなかった。

僕はいつしか、母にきつく当たるようになった。

「おい」とか「うるせー」とかなまいきな言葉を吐いた。

「ばばあ」と呼んだこともあった。

それでも母はこんな僕のために頑張って働いてくれた。

そして僕にはいつもやさしかった。

小学校6年のときはじめて運動会に来てくれた。

運動神経の鈍い僕はかけっこでビリだった。悔しかった。

家に帰って母はこう言った「かけっこの順番なんて気にしないお前は素晴らしいんだから」だけど僕の悔しさはちっともおさまらなかった。

僕は学校の勉強も苦手だった。

成績も最悪、自分でも劣等感を感じていた。

だけど母はテストの点や通知表を見るたびに、やっぱりこう言った「大丈夫、お前は素晴らしいんだから」僕には何の説得力も感じられなかった。

母に食ってかかったこともあった「何が素晴らしいんだよ!?どうせ俺はダメな人間だよ」

それでも母は自信満々の笑顔で言った「いつかわかる時が来るよ、お前は素晴らしいんだから」

僕は中学2年生になったころから、仲間たちとタバコを吸うようになった。

万引きもした。他の学校の生徒とケンカもした。

母は何度も学校や警察に呼び出された。

いつも頭を下げて「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と、あやまっていた。

ある日のこと、僕は校内でちょっとした事件を起こした。

母は仕事を抜けだしいつものようにあやまった。

教頭先生が言った「お子さんがこんなに“悪い子”になったのはご家庭にも原因があるのではないでしょうか」

その瞬間、母の表情が変わった。

母は明らかに怒った眼で教頭先生をにらみつけ、きっぱりと言った「この子は悪い子ではありません」
その迫力に驚いた教頭先生は言葉を失った

母は続けた「この子のやったことは間違ってます。親の私にも責任があります。ですがこの子は悪い子ではありません」

僕は思いっきりビンタをくらったようなそんな衝撃を受けた。

僕はわいてくる涙を抑えるのに必死だった。

母はこんな僕のことを本当に素晴らしい人間だと思ってくれてるんだ…

あとで隠れてひとりで泣いた。

翌日から僕はタバコをやめた。万引きもやめた。仲間たちからも抜けた。

その後中学校を卒業した僕は、高校に入ったが肌が合わなくて中退した。

そして仕事に就いた。

その時も母はこう言ってくれた「大丈夫、お前は素晴らしいんだから」

僕は心に誓った「ここからは僕が頑張ってお母さんに楽をしてもらうぞ」

だけどなかなか仕事を覚えられなくてよく怒鳴られた。

「何度おなじこと言わせるんだ!」「すこしは頭を働かせろ!」「お前は本当にダメなやつだな!」怒鳴られるたびに落ち込んだけど、そんなとき僕の心には母の声が聞こえてきた。

「大丈夫、お前は素晴らしいんだから」この言葉を何度も噛み締めた。

そうすると、元気がわいてきた。

勇気もわいてきた「いつかきっと僕自信の素晴らしいさを証明してお母さんに見せたい」そう考えると僕はどこまでも頑張れた。

仕事を始めて半年くらい経ったときのことだった。

仕事を終えて帰ろうとしていたら、社長がとんできて言った「お母さんが事故にあわれたそうだ。すぐに病院に行きなさい」

病院に着いたとき、母の顔には白い布がかかっていた。

僕はわけが分からなくて、何度も「おかあさん!」と叫びながらただただ泣き続けた。

僕のために身を粉にして働いてくれた母

縫物の内職をしているときの母の丸くなった背中を思い出した。

母は何を楽しみにして頑張ってくれたんだろう?

これから親孝行できると思っていたのに。

こらから楽させてあげられると思っていたのに。

葬式の後で親戚から聞いた。

母が実の母ではなかったことを。

実母は僕を生んだときに亡くなったらしい。

母はそのことをいつか僕に言うつもりだったんだろう。
もしそうなったら僕はこう伝えたかった。

「血はつながっていたくてもお母さんは僕のお母さんだよ」

あれから月日が流れ僕は35歳になった。

今あらためて母にメッセージを送りたい。

お母さん、僕とは血がつながっていなかったんだね。

そんな僕のためにお母さんは昼も夜も働いてくれたね。

そしてお母さんはいつも言ってくれた。

「おまえは素晴らしいんだから」って。

その言葉がどんなに僕を救ってくれたか。

どんなに僕を支えてくれたか。

あれから僕なりに成長し、今は結婚して子どももいるよ。

規模は小さいけど、会社の社長になって社員たちと楽しくやっているよ。

まだまだ未熟な僕だけど、僕なりに成長してきたと思う。

その成長した姿をお母さんに見せたかったよ。

「おまえは素晴らしい」って言ってくれたお母さん。

その言葉は間違っていなかったって証拠を見せたかった。

そしてそれを見せられないことが残念でならなかった。

だけど最近気付いたんだ。

お母さんは、最初から僕の素晴らしさを見てくれてたんだよね。

証拠なんてなくても、心の目でちゃんと見てくれてたんだよね。

だってお母さんが「お前は素晴らしいんだから」って言うときは、全く迷いがなかったから。

お母さんの顔は確信に満ちていたから。

僕も今、社員たちと接していて、ついついその社員の悪いところばかりに目がいってしまうことがある。

ついつい怒鳴ってしまうこともある。

だけどお母さんの言葉を思い出して、心の目でその社員の素晴らしさを見直すようにしているんだ。

そして心を込めて言うようにしている。

「君は素晴らしい」って。

おかげで社員たちとも良い関係を築け、楽しく仕事をしているよ。

これもお母さんのおかげです。

お母さん、血はつながっていなくても僕の本当のお母さん。

ありがとう。

野口嘉則氏「僕を支えた母の言葉」より引用

ココまで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

以上!!!

 

飲食プロデューサー、中小企業診断士

河野 祐治 

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